ルートピア

ものすごく長い文章に変換したって、その体験は2度とできないのだろうけど、金曜日のいざこざから土曜日のバーベキュー、そして日曜日の幸福までがあざやかにループしたという体験を共有してみたい。
わたしは金曜日の苛立ちを昇華できないでいた。それは、窮屈な檻の中で強制ギブスをはめられたままラジオ体操をしなければならないという状況下で、突如知人から包丁を投げつけられ、傷を負ったところへ更に虎に追いかけられるという、まあ例えて言うならそんなような、なぜそうなってしまったかもよくわからない状況に身を置いていたのである。
そもそもバーベキューとは肉や野菜を焼いて楽しむ健全なレクリエーションのはずではなかったのか? そう思わざるを得ない土曜日の晩は、人間の恐ろしさを目の当たりにした。
日曜日に母の実家へいったのは、引っ越しのための保証人欄にサインをもらうためであった。おそらく暇を持て余すであろうと踏んだわたしは、まだ1ページも読んでいない京極夏彦の分厚い単行本をバッグへ入れ、助手席で何度も眠りそうになりながら祖父母の家を目指した。予定より40分くらい遅れてついたときには、前回の訪問時よりも更に恰幅をよくした猫が、机のうえに寝そべったまま我々を迎えてくれた。
猫が母と喧嘩している間、わたしは裏の畑でブドウやゴーヤ・ピーマン・ナスなどを切りながら、自然と奮闘していた。好きなだけもらっていいというので一生懸命切っていたのだけれど、虫は好きではないし、時期が過ぎて腐りかかったブドウにはあまり触りたくないな、と思ったからである。しかし軍手はないかと尋ねてみても、祖母は「ない」とだけ言って笑うのだった。
夕食の時間は、母の姉にあたる人が「ゴーヤの苦味をやわらげる方法」について熱心に講演してくれたりと、大変楽しいものであった。そのあまりの真剣な口ぶりに、最初は調理をしても苦くて食べれなかったのではないか? というような質問を投げかけてみたところ、そうだと言わんばかりに顔を赤らめるので思わずみんなで笑ってしまった。ふと手にとった湯のみには「正直に生きるべし、辛くても文句は言わず、欲はなく、人のためになることをし、云々」と書かれており、わたしは金曜日に苛立ちを口から出したばかりだったので、いけないな、という反省と、今日この家に来れたことの幸せに感謝した。自然の力は偉大すぎて、今回わたしが触れたのにしたって、そのたった一部分でしかないという事実にはただただ畏敬の念を抱くばかりである。