内側の世界が外側に向かう

この頃は、まさにコミュニケーションの為に生きたといえよう。今日は届いたメールにまたものすごい返信をかき、このやりとりが永遠へと続いていくような気持ちをあじわった。先生は大島弓子を読んだら感想を聞かせてくれるだろうか。

たぶん、子どものときの時間は内側の世界だった気がする。それは、金曜ロードショーで録ったドラえもんの映画や宮崎アニメを何度も繰り返し見ていた、という事実に一番わかりやすくあらわれているだろう。そこに他の選択肢が加わったのは初めて就職したとき、選べるようになったのは最近になってようやくといった具合で、世界が目まぐるしく変わっていく。

でも、このおもしろい状況に生きてもまだ、いつか雲の上でねころびたいなあって、本気で思ってるのよ。おかしくなんかないわ。みんなそうやって生きていくんでしょ?